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歴史

2007年2月20日、更新

総務部 総務課 広報戦略室 広報広聴係(0259-63-5139)

本ページの目次

太古の佐渡

佐渡の歴史は古く、2万年から1万7000年前頃の遺跡も発掘されています。

島の中央部では、東日本有数の弥生都市だったと思われる環濠集落集落跡が確認されています。当時の佐渡には非常に高度な玉 (タマ) 作り技術が存在していた模様です。青森から福岡までの日本海側の多くの遺跡で佐渡産の管玉が出土しています。 (玉は権威を示す装身具であり、当時の権力者達はネックレスのように糸を通して身に着けていました)

大和に統一王朝ができた頃には、佐渡はクニの北方のおさえとみなされ、8世紀には国分寺もおかれていました。大陸からの漂着民も少なくなかったらしく、朝鮮半島からの使節団が来島した記録もあります。やがて佐渡は伊豆や壱岐とともに遠流(おんる)の島と定められ、都から政治犯が流されてくるようになりました。(順徳上皇、日蓮聖人、世阿弥など)

金山・日本海航路・文化

古くから金が出ると知られていた佐渡は、徳川幕府によって天領とされ、大がかりな開発が行なわれました。17世紀には、世界最大の産出量を誇っていたとみられます。(金の採掘は、ヤマが民間に払い下げられた後の1989年まで続きました)

江戸期には、上方(大阪方面)と北海道を結ぶ日本海航路が開かれました。日本を縦断するこの「海のメインストリート」の重要な中継地点として佐渡は栄えました。このため佐渡の文化は北陸や西日本の影響が大きいと言わています。商人や船乗りが持ち込んだ町人文化などです。流人が京から持ち込んだ貴族文化も佐渡に大きな影響を及ぼしました。

一方、金山の開発にともなって奉行や役人が江戸から派遣されたため、武家文化も佐渡へ流入しました。全国各地から移住してきた技術者集団の文化も色濃く伝えられています(鉱山師・大工・水利灌漑技術者・漁業者の集団など)。これらの文化が渾然一体となって現在の佐渡は創り上げられました。このため島内の方言も実に多様で、能や鬼太鼓をはじめとする伝統芸能も豊富です。

産業と観光

現在の農業は米作りが中心で、約65万人分相当(島内人口の9倍以上)の生産量を誇っています。柿や干し椎茸作りも盛んで、特に干し椎茸の生産量は新潟県内合計の95%を占めています(1997年)。加工品では味噌が有名(全国生産額の約5%)。漁業ではイカやブリが知られています。

佐渡の総面積の40%以上は山林で占めらています。寒暖両系の豊富な植生がみられます。マニアが訪れる高山植物や雪割草の宝庫としても知られており、花だけのために毎年来訪される方もいらっしゃいます。東洋一の天然芝を誇る高原も有名です。

観光資源としては、花以外にもトキ・金山・佐渡おけさ・鬼太鼓・能などがあります。意外に知られていないのはダイビングスポットです。特にコブダイに手で餌を与えられるのは、世界でも唯一、佐渡だけだそうです。また、釣り(磯釣り・渓流釣り)を楽しみに通われている方も少なくありません。

味覚は、イカ・寒ブリ・甘エビなどの海の幸、山菜・茸などの山の幸。そして、魚沼産コシヒカリに次ぐ評価を得ているお米(佐渡コシヒカリ)。いずれも素材の質に自然環境の豊かさがあらわれています。蔵元も多く、地酒ファンには垂涎の島だと言えるでしょう。

トキ、そして佐渡の明日へ

他の地方の例に漏れず、佐渡も過疎化・高齢化が進んでいます。島内に大学がなく、また求人動向も厳しい状況のため、若者の流出も問題となっています。ピーク時には120万人を超えた島外からの観光客も70万人を切りました。一方、トキは順調に個体数を伸ばしており、遠くない将来、きっとこの佐渡の空にトキが群舞する日が来ることでしょう。

平成16年に島内の自治体が合併し、一島一市として船出したばかりの私たち佐渡市 。その前途には課題が少なくありませんが、トキが舞う空のように希望にあふれる明日をめざしていきます。

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