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古写真:相川の町と周辺地域:ギャラリー

記事ID:0004497 更新日:2021年3月1日更新 印刷ページ表示

相川市街地遠景(絵葉書)

相川市街地遠景の画像1海岸線に広がる相川市街地南側の様子を撮影したもの。(撮影年:大正〜昭和9年(1912〜1934))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

相川市街地遠景(絵葉書)

相川市街地遠景の画像2海岸線に広がる相川市街地北側の様子を撮影したもの。(撮影年:大正〜昭和9年(1912〜1934))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

鉱山病院正面玄関

鉱山病院正面玄関現在の相川病院(相川広間町)がある場所に建てられていた佐渡鉱山用の病院。昭和27年に鉱山大縮小が決定されると、相川町へ払い下げられた。(撮影年:明治37年〜昭和前期(1904〜1952))(相川郷土博物館所蔵)

協和会館

協和会館鉱山に勤める職員の福利厚生のために昭和16年に建設された会館で、講演会や演芸会などが行われた。(撮影年:昭和16〜27年(1941〜1952))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

下山之神鉱員寮(第二相愛寮)

下山之神鉱員寮(第二相愛寮)現在の下山之神町グランド脇にあった鉱員用の寮。(撮影年:昭和17〜18年(1942〜1943)頃)(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

山之神鉱員住宅

山之神鉱員住宅現在の県立相川高等学校付近は、昭和10年代の大増産に合わせて長屋の鉱山住宅が建てられていた。(撮影年:昭和10年代(1935〜1945))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

大間港遠景(絵葉書)

大間港遠景(絵葉書)明治25年に鉱山用の港湾として、大間港が建設された。写真は大正期のクレーン台座等の施設増設前の様子を撮影したもの。(撮影年:明治〜大正期(19世紀末〜20世紀前半))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

大間港船渠と木製橋(絵葉書)

大間港船渠と木製橋(絵葉書)たたき工法による石積護岸と木製の橋が写る。(撮影年:明治期末〜大正3年(20世紀初頭〜1914))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

大間港船渠とクレーン台座

大間港船渠とクレーン台座の画像1大正3年にクレーン台座が増設され、港湾施設の充実が図られた。(撮影年:大正3年〜昭和13年(1914〜1938))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

大間港遠景

大間港遠景昭和10年代の大増産体制に合わせ、火力発電所の建設や港湾施設の増設が図られた。(撮影年:昭和15〜27年(1940〜1952))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

大間港船渠とクレーン台座

大間港船渠とクレーン台座の画像2現存するトラス橋やコンクリートで嵩上げされたクレーン台座が写る。(撮影年:昭和20年代(1945〜1954))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

鉱山祭の山車

鉱山祭の山車鉱山祭の際に濁川町付近を通る山車。(撮影年:大正〜昭和期(20世紀))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

やわらぎ

やわらぎ鉱山の伝統芸能として、鉱山祭の際に演じられた。(撮影年:大正〜昭和期(20世紀))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

浜石採取

浜石採取相川の海岸線に堆積する浜石が採集された。(撮影年:昭和期(1930〜1940年代))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

ガソリン機関車による浜石運搬

ガソリン機関車による浜石運搬説明文:昭和10年代に相川の海岸線に堆積した浜石の採取が盛んになると、浜石の運搬にガソリン式の機関車が導入された。(撮影年:昭和15年(1940)頃)(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

下相川火力発電所

下相川火力発電所下相川発電所は、鉱山への電力供給のため、昭和10年代に建造されたが、昭和18年に廃止された。(撮影年:昭和12〜16年(1937〜1941)頃)

戸地川第一発電所

戸地川第一発電所戸地川第一発電所は、鉱山への電力供給のため、水量の豊富な戸地川流域に建造され、大正4年から昭和52年まで電力を供給した。(撮影年:大正4年〜昭和期(1915〜1977))(相川郷土博物館所蔵)

戸地川第二発電所遠景

戸地川第二発電所遠景戸地川第二発電所は、鉱山への電力供給のため、水量の豊富な戸地川流域に建造され、大正8年から昭和52年まで電力を供給した。(撮影年:大正8年〜昭和期(1919〜1977))(相川郷土博物館所蔵)