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古写真:高任・間ノ山地区:ギャラリー

記事ID:0004500 更新日:2021年3月1日更新 印刷ページ表示

高任坑と高任選鉱場遠景(絵葉書)

高任坑と高任選鉱場遠景(絵葉書)高任地区は、明治期に大島高任ら日本人技術者によって近代的な鉱山施設が建造された。(撮影年:明治22年〜明治末期(1889〜20世紀初頭))(相川郷土博物館所蔵)

明治〜昭和初期の高任竪坑櫓と道遊の割戸(絵葉書)

明治〜昭和初期の高任竪坑櫓と道遊の割戸(絵葉書)明治20年に高任竪坑が開削された。写真は木製櫓であった頃のもの(撮影年:明治37年〜昭和前期(1904〜1952))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

架空索道と高任竪坑(絵葉書)

架空索道と高任竪坑(絵葉書)渡辺渡により、明治20年(1887)に架空索道が日本で初めて導入され、以降、昭和9年頃まで鉱山で利用された。左端には木製の高任竪坑が写る。(撮影年:明治33年〜昭和9年(1900〜1934))(相川郷土博物館所蔵)

高任竪坑櫓と道遊の割戸

高任竪坑櫓と道遊の割戸高任竪坑櫓は、昭和10年に木製から鉄骨製に建て替えが行われた。(撮影年:昭和10〜13年(1935〜1938))

昭和期の高任地区遠景

昭和期の高任地区遠景昭和10年代の大増産の際に再整備された頃のもの。(撮影年:昭和16〜27年(1941〜1952))(相川郷土博物館所蔵)

高任粗砕場

高任粗砕場間ノ山第二搗鉱場廃止後、昭和10年代の大増産体制のため、高任粗砕場が建設された。(撮影年:昭和11年(1936))(相川郷土博物館所蔵)

高任粗砕場と中尾変電所

高任粗砕場と中尾変電所高任粗砕場は、鉱石の一次破砕のために建設された。写真手前には構内に電気を供給する中尾変電所が見える。(撮影年:昭和17〜18年(1942〜1943))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

高任地区鉱夫浴場

高任地区鉱夫浴場昭和16年に建設された鉱夫の更衣室兼浴場。(撮影年:昭和16年(1941))

高任竪坑櫓プラット

高任竪坑櫓プラット木製櫓だった頃の竪坑櫓プラット。立坑内の鉱車を昇降するための捲揚式ケージが見える。(撮影年:昭和9年(1934)以前)(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

鉱石運搬用の索引馬と木製鉱車

鉱石運搬用の索引馬と木製鉱車明治時代の鉱山では、複数の鉱車を運搬するために馬が利用された。(撮影年:明治期(19世紀末〜20世紀初頭))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

人力による鉱石運搬の様子(道遊坑付近)

人力による鉱石運搬の様子(道遊坑付近)明治時代以降、蓄電池機関車等が導入されるまで、鉱車の運搬は人力によるものであった。(撮影年:明治43年〜昭和9年(1910〜1934))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

高任選鉱場内部(手選場)

高任選鉱場内部(手選場)高任地区に建設された選鉱場内の手選作業の様子。(撮影年:明治41年〜昭和14年(1908〜1939))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

道遊の割戸採鉱風景(絵葉書)

道遊の割戸採鉱風景(絵葉書)明治時代以降の道遊の割戸における採掘の様子を撮影したもの。壁面に足場を組んで人力による採掘がされている。(撮影年:明治〜昭和9年(19世紀末〜1934))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

近代の坑内作業の様子(絵葉書)

近代の坑内作業の様子(絵葉書)の画像1絵葉書用に当時の削岩機・手掘りによる鉱石採掘の様子や当時の鉱車を撮影したもの。(撮影年:昭和9年(1934)以前)

近代の坑内作業の様子(絵葉書)

近代の坑内作業の様子(絵葉書)の画像2絵葉書用に当時の上向・水平・下向の各種採掘用の削岩機を撮影したもの。(撮影年:昭和期(20世紀)ヵ)(相川郷土博物館所蔵)

昭和期後半の坑内作業の様子

昭和期後半の坑内作業の様子蓄電池式機関車と作業員。(撮影年:昭和40〜50年代(1965〜1984)ヵ)(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

明治期の間ノ山第一搗鉱場遠景

明治期の間ノ山第一搗鉱場遠景間ノ山第一搗鉱場は、鉱石の搗鉱製錬のため、明治24年に間ノ山に建設された。(撮影年:明治24〜37年(1904〜1952))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

高任・間ノ山地区遠景

高任・間ノ山地区遠景写真左の建物が間ノ山第二搗鉱場。写真右に清右衛門町の町並みが見える。(撮影年:明治34年(1901)以前)(相川郷土博物館所蔵)

明治〜大正期の間ノ山地区の町並みと間ノ山第二搗鉱場

明治〜大正期の間ノ山地区の町並みと間ノ山第二搗鉱場かつて、間ノ山地区にあった清右衛門町や五郎右衛門町の町並み。背後に間ノ山第二搗鉱場が見える。(撮影年:明治37年〜大正8年(1904〜1919))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

明治〜大正期の間ノ山第一搗鉱場

明治〜大正期の間ノ山第一搗鉱場明治41年、間ノ山第一搗鉱場の西側に第三搗鉱場が増築された。(撮影年:明治41年〜大正8年(1908〜1919))(相川郷土博物館所蔵)

間ノ山第一搗鉱場と架空索道(絵葉書)

間ノ山第一搗鉱場と架空索道(絵葉書)高任地区より搗鉱場間は濁川によって深い沢となっていたため、鉱石の運搬には架空索道が使用された。(撮影年:明治41年〜大正8年(1908〜1919))(相川郷土博物館所蔵)

大正〜昭和期の間ノ山搗鉱場(絵葉書)

大正〜昭和期の間ノ山搗鉱場(絵葉書)大正13年の火災により第一搗鉱場が全焼したが、翌年再建された。(撮影年:大正14年〜昭和9年(1925〜1934))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)

高任・間ノ山地区遠景(絵葉書)

高任・間ノ山地区遠景(絵葉書)大増産期における同地区の鉱山施設。粗砕場より写真右の間ノ山搗鉱場までベルトコンベアヤードが設置された。(撮影年:昭和17〜18年(1942〜1943))(相川郷土博物館所蔵)

搗鉱場内部(搗鉱機)

搗鉱場内部(搗鉱機)搗鉱場内には、鉱石を粉砕するため、鉄製の杵(搗鉱機)が設置された。粉砕した鉱石に水銀が添加され、アマルガムが採取された。(撮影年:明治24〜昭和18年(1904〜1943))(相川郷土博物館所蔵)

間ノ山搗鉱場内部(ダンカン淘汰機)(絵葉書)

間ノ山搗鉱場内部(ダンカン淘汰機)(絵葉書)スタンプによって砕かれた鉱石に水銀が添加され、アマルガムや鉱尾等の選別が行われた。(撮影年:明治41年〜大正8年(1908〜1919))(相川郷土博物館所蔵)

間ノ山搗鉱場内部(二重ダンカン淘汰機)

間ノ山搗鉱場内部(二重ダンカン淘汰機)搗鉱場内部の様子。機械類は必要に応じて随時更新された。(撮影年:大正9年〜昭和18年(1920〜1943))(株式会社ゴールデン佐渡所蔵)