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西三川砂金山(にしみかわ さきんざん)

虎丸山 西三川砂金山は、佐渡島の南西部に位置しています

人類にとって最古の金の入手方法は、砂金採取でした。佐渡でこの舞台となったのが西三川だと考えられています。
西三川砂金山は1872年に閉山されましたが、江戸時代の絵図と変わらない地形、往時を偲ぶ水路跡や役所跡なども、良好に保存されています。

佐渡最古といわれる砂金山

西三川砂金山の本格的な開発は、1460年頃に始まったと考えられています。当時、京の都の人々が思い描く佐渡のイメージは、すでに「金の島」というものでした。

阿弥陀堂阿弥陀堂(あみだどう)。砂金採取に関わった人びとの信仰の名残をとどめています。

砂金流し

16世紀〜17世紀初頭(戦国末期〜江戸初期)には、砂金の産出量が飛躍的に増えました。当時は、山肌などを大規模に削り崩し、砂金を含んだ土石を谷川へ滑り落として、余分な土砂を大量の水で押し流し砂金を採取していました。

この「砂金流し」に必要な水を得るため、周辺には何本もの大規模な水路が作られました。現在も、延べ12キロメートルにおよぶ「金山江」と呼ばれる水路跡が残っています。

虎丸山虎丸山(とらまるやま)。山肌を削り崩した跡が残っています。笹川集落には、現在も砂金採取用具が伝えられています。

技術革新と開発の循環

江戸時代に入り産出量が飛躍的に増大した背景には、鶴子銀山相川金銀山で活躍した山師たちによって、岩盤掘削技術と水利技術が導入されたことがあげられます。これらの技術によって大量の砂金が採掘され、さらに多くの山師が集まり、周辺の金銀山開発に拍車がかかりました。技術革新〜採掘量の増大〜再開発という一連の循環が回り始めたのです。

大山祇神社大山祇(おおやまずみ)神社。鉱山の安全と繁栄を祈願して建立されました。

点在する痕跡

水路や堤以外に、自然石を積み上げた「コの字」状の石組みも多数存在します。これらは作業小屋や休憩所などの跡だと考えられています。

笹川集落近郊では、江戸時代の絵図とほとんど変わらない風景を今も見ることができます。各家に伝えられている砂金採取用具や古文書なども、貴重な歴史的遺産です。

作業小屋の跡と考えられる石組み作業小屋の跡と考えられる石組み。あたりには水路跡も。

その後、採取量はしだいに減少し、西三川砂金山は1872年(明治5年)に閉山となりましたが、砂金を採取していた人々は、採掘の跡地を農地に、砂金流し用水路を農業用水路に転用するなどして、生活の手段を農業に変えることで、現在もこの地に住み続けています。

国重要文化的景観

「国重要文化的景観」とは、2005年4月の文化財保護法の改正によって生まれた新しい考え方の文化財です。都道府県または市町村の申出に基づき、景観計画区域や景観地区が指定されている地域のなかから文部科学大臣が「国重要文化的景観」を選定します。その地域の特色や暮らしを理解するために欠くことのできないものを、生態系を含めて保護する取組みを支援する仕組みです。

佐渡西三川の砂金山由来の農山村景観

西三川川流域は古くから砂金を産出する場所として知られていました。平安時代後期の「今昔物語集」や鎌倉時代の「宇治拾遺物語」には、能登国の鉄掘り(砂鉄の採掘)集団の長が佐渡国で砂金を採った説話があり、その舞台が西三川の地であると考えられています。

2011年、この西三川の景観が「佐渡西三川の砂金山由来の農山村景観」として国重要文化的景観に選定されました。現在は農業を主産業としている笹川集落ですが、選定を機に地域住民による「笹川の景観を守る会」によって景観が維持されています。

詳しくは下記リンク先をご覧ください。


佐渡西三川の砂金山由来の農山村景観

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