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先端技術の導入と改良

50メートルシックナー

北沢のシックナー。選鉱を経て金銀の含有量が少なくなった「泥鉱」を、鉱物と水とに分離・濃縮する施設。かつては大小さまざまなシックナーが存在していました。

佐渡金銀山が日本最大の産出量を誇った理由。そのひとつは、世界から次々と最新技術を導入し、改良していったことにあります。

江戸時代の技術

水銀アマルガム法

金銀の製錬技術の一種。16世紀にメキシコで開発され、17世紀の初めには早くも佐渡に導入されていました。

水上輪(アルキメデスポンプ)

地下深く掘り進む坑道の大敵は、岩盤から染み出る地下水です。採掘は排水との競争であり、毎日が地下水との闘いでした。ヨーロッパで開発された水上輪(アルキメデスポンプ)は、佐渡金銀山でも排水に威力を発揮しました。

水上輪(アルキメデスポンプ)水上輪(アルキメデスポンプ)。ハンドルを回転させると、水は筒の中を通って下から順々に汲み上げられ、上部の口から排出されます。

南沢疎水道

海へ向かって掘られた、全長約1キロメートルの地下排水路です。鑚(たがね)と鎚(つち)だけの手掘りで、5年の歳月をかけて掘削。貫通したときには一気に水が流れ落ち、それまで水没していた多数の坑道が復活しました。

掘削にあたっては、西洋の測量技術を取り入れ、高精度の測量器具(480方位の羅針盤など)を駆使するなど画期的な方法が導入されました。6か所から同時に、しかも手作業で掘り進んだにもかかわらず、ほとんど狂いがありません。当時としては世界最高水準の技術レベルでした。

南沢疎水道南沢疎水道。長さ1キロメートルにおよぶ地下排水路。手掘りだけで5年の歳月をかけて掘削されました。

南沢疎水道の掘削

明治以降の技術

明治時代を迎えると、日本政府は西洋から多数の技術者を招き、佐渡金銀山へ派遣しました。また、欧米で学んだ日本人による技術の導入も進みました。

明治時代に導入された技術や設備には、次のようなものがあります。

  • 火薬発破法(火薬を使用した採掘方法)
  • 日本初の西洋式竪坑(大立竪坑)
  • 日本初の架空索道(ロープウェー)
  • コークス炉(非鉄金属鉱山としては日本初)
  • 各種選鉱・製錬技術の導入や開発(鍋混汞法、搗鉱法、沈殿製錬法、青化法、浮遊選鉱法)
  • 動力源の転換(人力から蒸気力へ、そして電力へ)
  • アセチレン灯(坑道内の照明)

そのほかにも、揚水ポンプ・送風機・削岩機(さくがんき)・捲揚機など、多数の機器が導入されました。このような近代化が佐渡鉱山で可能だったのは、江戸時代に培われた鉱山技術の水準が高かったからだと考えられます。

製錬技術の変遷

製錬技術も時代によって移り変わってきました。

当初は灰吹法が用いられましたが、相川金銀山の鉱石は銀鉱石中に金を含む「エレクトラム」であったため、金銀を分離して金の純度をさらに高める必要がありました。そこで、硫黄によって金銀を分離する「金銀吹分法」や、塩によって金銀を分離し金の純度を上げる「焼金法」が用いられました。また、江戸時代初期には灰吹法よりも効率の良い「水銀アマルガム法」も導入されましたが、水銀の自由売買が禁止されたため衰退していきました。

明治時代以降になると、水銀を利用した「混澒法(こんこうほう)」、シアン化合物を利用した「青化製錬法」が主流になりました。

昭和に入ると、それまでは回収が困難だった細かな金銀粒を浮遊剤を利用して回収する「浮遊選鉱法」が開発されました。従来は銅の製錬方法でしたが、金銀採収に応用する研究が佐渡鉱山で重ねられ、ついに実用化に成功したのです。これは世界初の革新的な技術でした。

北沢浮遊選鉱場月間7万トンの鉱石を処理するなど、東洋一の規模を誇った「北沢浮遊選鉱場(きたざわふゆうせんこうじょう)」(1938年頃)。今も残るこの施設は、産業遺産としても貴重なものです。

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