佐渡の文化財

通史編 古代中世の羽茂 羽茂町誌第二巻

  • 編集者:羽茂町史編さん委員会
  • 発行者:羽茂町
  • 発行日:平成元年3月25日
  • 非売品

目次

序   羽茂町長 渡辺 博
発刊にあたって   羽茂町教育長 海老名 晃
はじめに-羽茂の中世以前-
古代文化のあけぼの
 山や海に食物を求めた人たち
  縄文時代の佐渡と羽茂 大昔を調べた人々 羽茂の縄文遺跡 羽茂に人々が住みついたころ
 稲作りが始まったころ
  佐渡の弥生文化 佐渡の玉作り 平野の形成と稲作 羽茂の弥生文化
 古代文化の発展
  古墳を築いた人々
   羽茂に伝わる粛慎の隈 御名部、禹武邑、瀬波河浦の諸説 蝦夷と粛慎 北御名部の北、東禹武の東 粛慎人抄掠の意味 古墳 佐渡の古墳 佐渡の古墳分布 羽茂の古墳 古墳の可能性のあるもの 古墳を築いた人たち
 羽茂平野の開発と発展
  羽茂川の流れ 羽茂郡の成立 羽茂郡衙推定地 羽茂郡司 羽茂郡衙への道 羽茂平野の条里制水田遺構 条里水田地帯への水がかり 羽茂郡内の郷 羽茂平野周辺の須恵器出土地 羽茂の港 式内社度津神社 一の宮のこと 国府羽茂説
 須恵器づくりの里
  須恵器という焼物 佐渡の須恵器窯跡 小泊の須恵器窯跡 小泊窯の成立 須恵器の積み出し港 須恵器を焼いた人たち 小泊須恵器窯跡群(写真)
 古代の遺跡
  土師器を出土する古代遺跡 古式土師器の出土品 製塩遺跡 佐渡の製塩遺跡 羽茂の製塩遺跡 奈良から平安時代の遺跡
古代から中世へ
 古代・中世の農村のすがた
  「垣の内」という村 谷田の開発 本名と新名 名分けの村 岡崎七軒 観音堂の懸仏 隠れ里の伝承 「屋敷」という地名 屋敷地名をもつ所
 羽茂本間氏
  羽茂郷地頭職の成立 棟札に残る地頭の名 羽茂地頭の領内統治形態 羽茂城の縄張 羽茂城築城 築城に働いた村人たち 平城と城ノ内 羽茂地頭の小木半島進出 長  尾為景の隠遁地 羽茂地頭の国仲侵攻 羽茂・河原田の争い 村殿たちの城跡の縄張 越後に対する支城跡 戦国期に成立した町並み 羽茂城落城 羽茂城跡出土遺物 羽茂殿の母君の生家 上杉家臣富永氏の羽茂郷支配
 村々と城
  郷村の誕生 本郷と西方 羽茂殿の牧場 草苅の里 城付百姓 冬居と夏居 木地師  の里 羽茂のつぶろさし 小泊の石工起源伝説 中世を示す小泊の石造物 中世を示す石工のひろがり
 地頭と寺社堂
  八幡と流鏑馬 牛頭天王社の獅子頭 熊野神社の棟札 大蓮寺の無量寿仏 大蓮寺と千光寺 弘仁寺と羽茂地頭 天神河原畑の寄進 浄土真宗の寺
 庶民の信仰
  寺田十王堂の閻魔像 羽茂天神社の中世仏像 一字一石経 堂城のケチ鉦 西花氏と阿弥陀堂 信仰の山荒磯山 平野の神社は農耕の神 お寺の系譜 海を渡ってきた神 鮑の伝承を伴う羽黒神社 熊野修験の活動 熊野比丘尼 塚とその分布
近世へ向けて
 村の中の変化
  羽茂家臣たちのゆくえ 能登桜井家のこと 殿山の管理 村の中使たち 慶長検地
あとがき
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