本文
指定種別(員数) | 建造物(1棟) |
---|---|
指定年月日 | 平成16年3月1日 |
所在地 | 佐渡市沢根五十里 |
所有者または管理者 | 個人蔵 |
この建物は元々、佐和田地区沢根五十里の酒屋で文化人の矢島主計(かずえ)が文化7年(1810)に茶室造の離れを仮塾舎としたもので、河原田の中山五兵衛家に保存されていたが、昭和26年(1951)に現在地に移築された。
矢島主計は安永4年(1755)沢根五十里に生まれ、若い頃江戸へ出て儒学者の亀田鵬斎(ぼうさい)に学んだ。その後は儒学にとどまらず、詩歌俳諧にも通じ、荒野の開墾や窯業など様々な分野で業績を残した。
この励風館の建設は、文政8年(1825)に相川に建設された官学の修教館に先立つこと15年、実に佐渡における学校創立の先駆けともいうべき建物である。館名の由来は、「微を孤島に啓き風を遠裔に励ます」から励風の2字をとり、佐渡の文化を啓発し、学問を奨励するために名付けたとされる。
励風館の脇には沢根出身の文芸評論家青野季吉の「青野季吉ペンの碑」も建てられており、碑の下には季吉の愛用した万年筆も納められているなど、建物は佐和田地区沢根の文化的シンボルとなっている。