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登録種別(員数) | 建造物(4棟) |
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登録年月日 | 平成18年10月18日 |
所在地 | 佐渡市泉 |
所有者または管理者 | 個人蔵 |
江戸時代より代々「道益」の名を受け継ぐ医家の屋敷で、主屋は昭和52年に重要文化財に指定されている。通りに面した長屋門は、桁行7間、梁間2軒半規模の茅葺の木造平屋建で農家の表構えを形成。米蔵は桁行6間半、梁間3間の平側に真壁を現す土蔵で、家財蔵と味噌蔵と一体的な外観を形成する。
登録種別(員数) | 建造物(1棟) |
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登録年月日 | 平成18年10月18日 |
所在地 | 佐渡市泉 |
所有者または管理者 | 個人蔵 |
北條家は、代々医を業とし、「道益」の名を号した一族。初代道益の賢清は、もと丹波国(兵庫県)氷上郡岩龍寺の僧侶であったが、寛文3年(1663)佐渡へ流され、相川で漢方医を開業した後、18世紀はじめ頃当地へ移ったとみられている。
当家の長屋門は、敷地東辺に近接し、東面して建つ。桁行7間、梁間2間半、木造平屋建、寄棟造で、茅葺としては比較的規模の大きな門である。中央幅1間半を通路とし、その両側に土間2室を設ける。正面に窓を設けない質素な意匠で、農家敷地の表構えを形成している。小屋裏に天保年間(1830〜1844)の祈祷札があったことから、建築年代は19世紀初頭までさかのぼると考えられている。
登録種別(員数) | 建造物(1棟) |
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登録年月日 | 平成18年10月18日 |
所在地 | 佐渡市泉 |
所有者または管理者 | 個人蔵 |
敷地西側に東面して建っている。桁行6間半、梁間3間、土蔵造2階建の米蔵の北側及び東側に、木造2階建の蔵前を矩(かね)手に設け、全体に切妻造、桟瓦葺の屋根をかける。規模の大きな米蔵で、敷地の中でも際立ち、大地主の屋敷としての景観を形成している。建築年代は明らかではないが、2階の床板や壁竪板の古定に和釘が使用されていることから明治時代前期と考えられている。また、この米蔵は、沢根(佐和田地区)の廻船問屋であった浜田屋の蔵を移築したものであると伝えられている。
登録種別(員数) | 建造物(1棟) |
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登録年月日 | 平成18年10月18日 |
所在地 | 佐渡市泉 |
所有者または管理者 | 個人蔵 |
米蔵の北隣に南面して建つ。桁行2間半、梁間2間、土蔵造2階建、切妻造、桟瓦葺ある。外壁を漆喰塗りとし、南側以外を押縁下見板張で保護する。南側は奥行1間の蔵前を設け、米蔵と味噌蔵とを繋ぎ、2棟が一体となった外観を形成している。建築年代は不明であるが、和釘の痕跡が確認されず、材も比較的新しいことから、明治時代後期以降の建築と考えられる。
登録種別(員数) | 建造物(1棟) |
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登録年月日 | 平成18年10月18日 |
所在地 | 佐渡市泉 |
所有者または管理者 | 個人蔵 |
家財蔵の東隣に南面して建つ。桁行2間、梁間2間半、木造2階建、切妻造、桟瓦葺とし、南側に奥行1間半の蔵前が付く。1階は漆喰塗の味噌蔵、2階は形式的な床構えを付けた座敷となっている。主屋と蔵前で繋がり、主屋と一体となった外観を形成している。建築年代は不明であるが、2階座敷の垂木の固定に和釘が使用されていることから、明治時代前期と考えられている。