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指定種別(員数) | 史跡 |
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指定年月日 | 平成16年3月1日 |
所在地 | 佐渡市窪田 |
所有者または管理者 | 佐渡市 |
この窯跡は、佐和田地区窪田地内、佐和田中学校へ向かう道からつつじヶ丘公園へ入り、その先の雑木林の中にある。この場所は「焼場跡」とも呼ばれ、窯の起源は不明であるものの、『佐渡四民風俗』に、文化年間(1804〜1817)中期か後期頃の成立であろうと記されている。
この窯跡では昭和44年(1969)に発掘調査が行われ、4つの焼成室がある登窯が発見されている。また、出土した破片に沢根の富商で文化人である矢島主計(かずえ)の別号「島製」、「霞痼園(かいこえん)」の刻印が残っていることから、矢島が窯主であったと推測されている。矢島がこの窯を築いた理由としては、耕地を開くために招いた米沢(山形県)出身の開墾師三太夫が瓦焼きの技術をもっていたことによると考えられ、三太夫は瓦に加えて植木鉢・土鍋・徳利・擂鉢(すりばち)・壷などの生活雑器を焼いていたものと思われる。なお、この窯は矢島が天保3年(1832)に没した後、しばらくしてから閉鎖されたと思われる。
相川地区相川羽田村の黒沢金太郎窯跡とともに地方窯の系譜を伝えるものであり、佐渡の焼物研究史において重要な遺跡である。