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市長随想「ゆめ夢飛行」第3回

市報さど(2006年8月号:第30号)から転載

2008年2月15日、掲載

総務課 秘書係(0259-63-3111)

霧の中で 〜読売新聞ジェット機墜落事故から20年〜

霧の中で操縦しているパイロットは、時に自分の位置の感覚を失って上下左右の方向を誤って大きな事故につながることがあります。20年前の事故もこのような原因だったのでしょうか。濃霧の中で訓練を終わった読売機が妙見山の山頂の近くに激突して、4人のクルーが帰らぬ人となったのを覚えておられる方も多いと思われます。昭和61年7月23日正午ごろ、レーダーから機影が消えて事故は起きました。一夜明けてからの大規模な捜索の結果、午前6時過ぎ、妙見山付近の山林に機体が墜落しているのが発見され、4人の遺体が確認されました。今年はあの事故からちょうど20年目で、私も関係者と現地での慰霊祭に参加しました。

事故の後の金井町役場の対処は適切でした。当時の田中一郎町長や総務課長だった渡辺和彦氏(元金井議長)や職員による、寝食を忘れた支援に感激した読売新聞社は関係者への感謝の気持ちから、その後今日まで毎年数多くの書籍を町に寄贈され、新市となっても続けられてきた寄贈書籍の累計は、3万2千冊にも及び、佐渡市の図書館の全蔵書の1割近くにも達しています。佐渡市は一昨年の合併の後、今まで旧各市町村の図書館が電子的に統合され、合計した蔵書総数は全島で約35万冊となり、県内でも長岡市図書館に次ぐ多さに驚いていたところでしたので、いまさらながら読売新聞の寄贈図書の佐渡市図書館に占める大きさを実感しているところです。

当日は妙見山の尾根筋にある慰霊碑にあの日を思い起こすような濃い霧が立ち込める中で、関係者一行は次々に献花を行い、頭を垂れて不慮の事故で亡くなられた4人の霊にしめやかに祈りをささげました。慰霊祭のほんの数10分の間に、皆の衣類は山霧にすっかり濡れてしまい、あの日の若き犠牲者の無念の涙のように冷たい雫を滴らせながら無言のまま下山したのでした。

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