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メールマガジン第41号

バックナンバー(2007年5月21日発行)

2007年5月21日発表

総務課 秘書係(0259-63-3111)

5月13日(日曜日)前日の金銀銅サミットの熱気もまだ覚めやらないままに、相川ゴールデン佐渡第3駐車場には当初の予定をはるかに上回る250人もの熱心な古道ウオッチャーが集まりました。

昨夜からの天気予報では午前中は雨模様ということでしたから、皆、雨具の用意をしていましたが、私はさらに念を入れて長靴で足元を固めて万全の構えでスタートしました。

今回は、「佐渡金銀山のルーツを訪ねて・歴史に埋もれた古道を歩く」として、前回悔し涙を飲んだ世界遺産登録に向けて再挑戦するため、鶴子銀山遺跡周辺から佐渡金銀山遺跡の間の古道を歩き、いにしえ人の栄枯盛衰と歴史ロマンに思いを馳せる試みです。私の選んだコースは、所要時間ほぼ2時間のもっとも楽なコースのC班で、まず、鶴子銀山遺跡の露頭採掘跡までマイクロバスで向かいました。

今まで、鶴子銀山遺跡といわれて佐渡では有名ですが、まだその跡を見たこともなく、この機会を逃すまいと参加しましたが正直、遺跡を見て祖先の金銀に対する執着に圧倒されました。
尾根近くの獣道の脇に延々と並ぶ、古い堀跡、坑道というよりは銀鉱石を求めて人力で堀り、割り、はねあげて、進んだただの穴、穴…、敷き詰めたように深く朽ちた杉の葉を掻き分けてみると、相川での金銀山遺跡に見るような石英の石片が積み重なって際限なく出てくるのです。
いっとき、自分達も460年前の沢根の銀発見に沸く、その時代に引きずり込まれたように立ち尽くしました。

鶴子から上相川までは古道がそのまま残されており、たまたま一緒の班となった専門家の小菅先生に解説を頂きながら、古くは奉行道といわれ、この道を踏みしめていた武士・町人達に思いをめぐらせる素晴らしい時間を楽しみました。前日までこのイベントのために古道の整備に汗をかかれたスタッフに感謝でした。

上相川まで降りてくると、私が日本のマチュピチュと命名したごとく、上相川一千軒と称された町の威容が眼下に広がり、仰ぎ見る道遊の割戸を目前にしながら、この地域の史跡指定が終われば、世界遺産登録も間違いなしと確信を新たにしました。

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