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型に蝋を流し込む様子
指定種別 | 工芸技術 |
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指定年月日 | 昭和53年12月26日 |
所在地 | 佐渡市 |
技術者 | 本間琢斎、宮田藍堂 |
保持団体 | 佐渡蝋型鋳金技術保存振興会 |
この鋳金技法は、弘化4年(1847)に佐渡奉行中川飛騨守の依頼を受けた初代本間琢斎が沢根鶴子で大砲を鋳造する際、砲身の模様を蝋型で鋳造したことがその起源とされている。
この鋳金技法は、蜜蝋を主体として練り合わせた蝋で作品の原型を作り、それを土で塗り覆い、土が乾燥した後、湯口を下にして窯の中で蝋を溶かし、土の中から流出させて、空洞になったところへ溶かした銅合金(銅・鉛・錫・亜鉛)を注入する。その後の仕上げ着色の工程を経て完成したものは、まさに一品製作の美術品そのものである。
また、着色工程では、使用する薬品により、古銅色や青銅色など数種類の色を引き出す技法があるが、、中でも代表的なものは斑紫銅色で、その技法は創始者の初代本間琢斎より代々受け継がれている。