大会概要
全国離島交流中学生野球大会(通称「離島甲子園」)は、プロ野球の往年の大エース村田兆治氏の提言によって平成17年に創設された「離島交流少年野球大会」が前身となっています。その後、参加チームの拡大により、平成20年から全国大会として位置づけられました。全国の離島の中学生が一堂に会し、野球を通じて交流することにより、人間形成や地域振興に寄与することを大会の目的としています。
参加チームはトーナメント形式で優勝をめざします。敗者となったチームは交流戦を通じて再度ゲームを楽しみます。また、プロ野球OBが結成した「まさかりドリームス」による野球教室なども開催されます。熱い5日間を通じて、参加者全員がかけがえのない思い出を手に入れることを願っています。
日程の詳細
第1日目(8月18日、月曜日)
開始時刻 | 内容 | 会場 |
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17時 | 開会セレモニー | アミューズメント佐渡 |
第2日目(8月19日、火曜日)
開始時刻 | 内容 | 会場 |
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8時30分 | 開会式 | サンスポーツランド畑野野球場 |
9時30分 | 1回戦・2回戦 | サンスポーツランド畑野野球場 |
10時30分 | 1回戦・2回戦 | 両津野球場 佐和田野球場 金井野球場 |
第3日目(8月20日、水曜日)
開始時刻 | 内容 | 会場 |
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9時 | 準々決勝・準決勝・交流試合 | サンスポーツランド畑野野球場 両津野球場 佐和田野球場 金井野球場 |
第4日目(8月21日、木曜日)
開始時刻 | 内容 | 会場 |
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9時 | 決勝戦 | サンスポーツランド畑野野球場 |
11時 | 表彰式・閉会式 | サンスポーツランド畑野野球場 |
12時 | まさかりドリームス野球教室 | サンスポーツランド畑野野球場 |
14時30分 | キャッチボールクラシック | サンスポーツランド畑野野球場 |
17時30分 | さよならパーティ | 金井コミュニティセンター |
- 注釈
- 「まさかりドリームス野球教室」は、離島甲子園の出場チームのみ対象とします。
- 「キャッチボールクラシック」は、佐渡市内の小中学生(希望者)も対象とします。
- 「さよならパーティ」は関係者のみ対象とします。
第5日目(8月22日、金曜日)
解散、各地へ出発
主な大会役員
大会名誉会長(大会提唱者) | 村田 兆治氏 |
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大会会長 | 白川 博一氏(長崎県 壱岐市長) |
大会実行委員長 | 甲斐 元也(新潟県 佐渡市長) |
大会提唱者 村田兆治氏のプロフィール
「まさかり投法」で大活躍し、名球会入りした往年の大エース。プロ通算成績は、215勝177敗33セーブ、2363奪三振、防御率3.24。最優秀防御率や最多勝などを受賞。また、東京都民文化賞、朝日スポーツ賞、日本ユネスコ協会連盟フェアプレー賞なども受賞した。広島県三原市名誉市民。
引退直後の1991年に、新潟県粟島浦村から離島訪問をスタート。2005年には「離島の子供たちに夢と勇気を…」との願いから、プロ野球選手OBの賛同を得て「まさかりドリームス」を結成。ライフワークとして20年余にわたり全国の離島めぐりを続けている。
1949年 | 0歳 | 広島県本郷町(現・三原市)に生まれる。 |
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1959年 | 小学5年生 | ナイター観戦がきっかけで、プロ野球選手を目指す。 |
高校時代 | 県内屈指のピッチャーとして有名になる。 | |
1967年 | 18歳 | ドラフト1位で東京オリオンズ(現・千葉ロッテ)に入団。 |
1969年 | 初先発で完封勝利。以降、ロッテのエースとして活躍。 | |
1974年 | 「まさかり投法」で大活躍し、ロッテが日本一に。(まさかり投法とは、右腕をふくらはぎの後ろに隠れるように地面近くまで降ろし、そこからまさかりを振り下ろすように豪快に球を投げ下ろすフォーム) | |
1979年 | 32試合に先発し、自己最多21完投・230奪三振の記録を残す。 | |
1981年 | 31歳 | 開幕11連勝を飾り、19勝で最多勝のタイトル獲得。 |
1982年 | 32歳 | 右肘故障。左腕の腱を右肘に移植する手術を受ける。 |
1983年 | 渡米し、F・ジョーブ博士の執刀で日本人選手として初めて右ひじの手術を受ける。 | |
1984年 | 34歳 | 2年間のリハビリに耐え、復帰。 |
1985年 | 35歳 | 右ひじ手術のリハビリを経て復活。3週連続で日曜日に先発完投して「サンデー兆治」の異名をとる。さらに開幕から11連勝を挙げ、最終的に17勝5敗でカムバック賞を受賞。 |
1989年 | 39歳 | 対日本ハム戦で通算200勝達成。名球会入り。 |
1990年 | 40歳 | シーズン2桁勝利を達成して現役引退。40代での2ケタ勝利は史上2人目! |
1991年 | 新潟県粟島浦村から離島訪問をスタート。「子供達にプロ野球のすごさを知ってもらいたい!」 | |
1995〜1997年 | 福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)の投手コーチを務める。 | |
2005年 | 55歳 | 対馬まさかりドリームスの監督に就任。野球殿堂入り。 |
2007年 | 57歳 | 全国離島交流中学生野球大会スタート。 |
2013年 | 63歳 | ロッテ対日本ハム戦の始球式で135km/hの球速を記録。 |
まさかりドリームス野球教室 講師紹介
松沼 雅之 講師
元西武ライオンズ投手。1980年から5年連続で2桁勝利をあげた。オールスターゲーム4回出場。現在は野球解説者として活動。
西村 徳文 講師
元千葉ロッテ選手・コーチ・監督。1986年から4年連続で盗塁王を獲得。パ・リーグ初の、内野・外野両方でのゴールデングラブ賞獲得者。
南渕 時高 講師
元千葉ロッテ選手。その後、中日ドラゴンズ、オリックスに移籍。1993年に当時日本記録の14打席連続出塁を達成。1996年4月に月間MVPを受賞。
森 忠仁 講師
元阪神タイガース選手。投手として入団後、打力を活かして外野手へ転向。現在は日本プロ野球選手会事務局次長。
過去の大会
平成17年に初開催された「離島交流少年野球大会」が、平成20年から全国離島交流野球大会として位置づけられました。
年度 | 大会名 | 開催地 | 出場 チーム | 優勝 |
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平成17年度 | 第1回 離島交流少年野球大会 | 佐渡島 | 4 | |
平成18年度 | 第2回 離島交流少年野球大会 | 壱岐島 | 4 | |
平成19年度 | 第3回 離島交流少年野球大会 | 対馬 | 8 | |
平成20年度 | 第1回 全国離島交流野球大会 | 伊豆大島 | 10 | (隠岐の島町) |
平成21年度 | 第2回 全国離島交流野球大会 | 隠岐の島 | 16 | (壱岐市) |
平成22年度 | 第3回 全国離島交流野球大会 | 種子島 | 17 | (隠岐の島町) |
平成23年度 | 第4回 全国離島交流野球大会 | 上島町 | 19 | KAMIJIMA(上島諸島) |
平成24年度 | 第5回 全国離島交流野球大会 | 八丈島 | 21 | 隠岐の島あんやらーず(島後) |
平成25年度 | 第6回 全国離島交流野球大会 | 壱岐島 | 22 | 壱岐市選抜(壱岐島) |