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指定種別(員数) | 古文書(5点) |
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指定年月日 | 平成16年3月1日 |
所在地 | 佐渡市大川、他 |
所有者または管理者 | 旧大川区、他4 |
佐渡で実施された検地としては、慶長の「田地検地」、元和の「屋敷検地」、元禄の「田畑屋敷検地」が知られているが、この検地帳は、慶長5年(1600)に越後の上杉景勝の代官河村彦左衛門が佐渡一国で実施した最初の田地検地の帳簿と思われる。
この検地は御料所分(上杉氏直轄領分)・給人分(上杉氏代官分)・寺社分に分かれた人別支配を原則としたもので、同じ地域でも支配系統の相違で数冊の検地帳が作られた村もあった。
この検地帳記載形式は地字・本苅・見出・作人を書き、中使に宛てたものであり、稗(ひえ)については、苅を用いず升合を使用している。また、中使免・江料免などの免田を認め、寺社領については取米の3分の1の免除を認めている。
この中使指出検地によって100束苅から8斗4升の年貢の納入を求め、取米高は24,500石前後にも上った。100束苅の取米は、昔から「一束二升重、平年作」といわれていることから、約2石程度と算定される。