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指定種別(員数) | 史跡(1) |
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指定年月日 | 平成16年3月1日 |
所在地 | 佐渡市八幡 |
所有者または管理者 | 個人蔵 |
佐和田地区八幡はかつて荒れ果てた砂原で、風の激しい時は金井地区の泉まで砂が飛び、国仲周辺の農作物に被害を与えていた。「八幡砂垣」は、飛砂害対策として佐渡奉行所が寛永20年(1643)に築造させたものである。
古い文献によると、設置当時の砂垣は長さ12町(約1,308メートル)、幅78間(約142メートル)を1単位とした柴垣を組んだもので、その中に砂を詰め小松を植えた。この作業には、地元の八幡のほか、砂の被害の多い畑野地区の三宮、真野地区の竹田・大川・国分寺・長石・四日町、など12の村から人夫が出され、1人1日につき米5合の給与で作業に当ったと記録されている。
砂垣については俗謡に「八幡砂垣三年廻り今年はゆい年ゆわれ年」とうたわれているように、3年ごとに柴垣の結び替えと松の補植が行われ、さらには監視のために砂垣同心も置かれたと伝えられている。
砂垣に植えた松が生長して砂の被害が減った元文元年(1736)、山田村太郎右衛門・後山村与三兵衛ら7人が奉行所の許可を得て砂丘を開発し、翌2年に新しく辰巳村が誕生した。この村名は、元文元(辰)年と同2(巳)年の干支に因んで命名されたものである。