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総論:第2節:佐渡市の概況

佐渡市総合基本計画(後期)(素案)(12ページ中3ページ目)

2010年1月5日、掲載

企画振興課 企画統計係(0259-63-4152)

本ページの目次
  1. 位置と自然
    1. 位置と地勢
    2. 気候
  2. 歴史と文化
    1. 歴史
    2. 文化

1. 位置と自然

(1)位置と地勢

本市は、日本海の中央に浮かぶ佐渡島の全域を行政区域としています。新潟港(新潟市)から約67キロメートル、直江津港(上越市)から約78キロメートル、寺泊港(長岡市)から約46キロメートルに位置し、周囲280.4キロメートルに及ぶ海岸線は変化に富み、美しい景観を形成しています。

島の中央部に開けた国中平野には穀倉地帯が広がり、それを挟むように北側には千メートル級の大佐渡山地、南側には小佐渡丘陵を擁しています。総面積は855.27平方キロメートルで、東京23区の約1.4倍という日本最大の離島です。地目別面積では全体の約15%が田・畑等の農用地であり、約83%が山林、原野、雑種地等で、宅地は1,801haで全体面積の2%です。

島の大部分が国定公園や県立自然公園に指定されており、豊かで美しい自然環境に恵まれています。平成20年9月には、トキの放鳥が行われ27年ぶりに佐渡の空を舞いました。トキが安心して棲める環境は、人間にとっても安心して住める環境の証と言えます。

地勢

面積
855.27平方キロメートル(出典:平成20年10月1日現在、国土地理院)
極東
弁天崎:東経138度34分28秒
極西
沢崎鼻:東経138度12分11秒
極北
二ツ亀:北緯38度20分18秒
極南
新谷岬:北緯37度48分09秒
広ぼう
  • 東西の長さ:32.7キロメートル
  • 南北の長さ:59.5キロメートル
海岸線
280.4キロメートル
標高
最高1,172メートル(金北山)
(小佐渡最高峰:大地山・645メートル)

(2)気候

本市の気候は海洋性で四季の変化に富み、新潟本土と比較すると、冬は暖かく夏は涼しい気候となっています。夏は高温多湿、冬は日本海を北上する対馬暖流の影響を受け、降雪量も地域によって異なるものの全体的に少ないです。

暖流と寒流の接点にあるため、植生に極めて富んでおり、北限・南限の植物が同居する非常に珍しい植生地域で、高山植物や山野草などその種類は豊富です。

また、暖流にのって現れるマグロ、寒流にのって現れる寒ブリなどの多様な水産物にも恵まれています。

このような気象条件から佐渡の自然は豊かであり、四季折々、その豊かな自然と人々の生活が調和し、その風情はこれまで佐渡の能をはじめとする文化や芸能、歴史をはぐくんできています。

2. 歴史と文化

(1)歴史

佐渡の歴史は古く「古事記」「日本書記」などにその記述があり、大化の改新後佐渡国として国府が置かれました。

奈良時代の前期には遠流の島とされ、鎌倉時代に順徳上皇、日蓮上人、日野資朝、室町時代には世阿弥などが配流されてきています。

また、慶長6年に相川で金が発見されると徳川幕府は佐渡を天領とし相川鉱山は徳川幕府の大きな財源となり、この金銀の積出しの港として天然の良港の小木港が栄え、京都、大阪をはじめ北陸、九州から北前船が往来するようになりました。

このように佐渡は都の皇族や文化人が伝えた貴族文化、徳川幕府の役人による武家文化、北前船等の船乗りによる町人文化が島という特性と相まって独特の文化が形づくられてきました。

佐渡は明治維新には佐渡県となり、のち相川県を経て明治9年に新潟県に含まれました。

明治22年の行政区画は7町51村で同34年には5町20村になりました。

昭和に入ると、「新制中学校の設置管理」「市町村消防や自治体警察の創設」「社会福祉」「保健衛生」関係が新しい市町村の事務とされるなど、行政事務の増加に対応するための、町村合併促進法の施行(昭和28年)により最低人口8千人を目標とした「昭和の大合併」で、佐渡は1市7町2村となりました。

以降50年が経過し、21世紀を迎え地方分権時代の到来の中、住民主権の地方自治のための市町村の自治能力の向上や、地域の道路・情報ネットワークの向上により空間的・時間的距離は大幅に短縮され、地方行政の規模が拡大されたことによる構造改革の必要性が生じてきました。

また、佐渡においては特に若年層の島外流出により過疎化・少子高齢化社会が顕著となり、一層困難な行財政運営に迫られてきました。

このような背景により、一島一市の市町村合併が行われ「佐渡市」が誕生しました。

(2)文化

佐渡の文化は北陸や西日本の影響を強く受けていると言われます。

これは、古くから佐渡に流された人々(皇族・貴族)が京から来たことや、西回り航路が開かれてから西日本や北陸の文化が直接佐渡に運ばれたことによります。

そして、佐渡の文化の中には、流人たちがもたらした貴族文化(国中地方)、金山の発展で、奉行や役人たちが江戸からもちこんだ武家文化(相川地方)、商人や船乗りたちが運んだ町人文化(小木地方)の3つの形があるといいます。これらが混然一体となって、佐渡独自の文化をはぐくみ、同じ新潟県内でも対岸の越後とは全く異なった文化土壌の中にあると言えます。

佐渡は芸能の宝庫といわれるほど多くの民俗芸能が伝承されています。島内の神社には能舞台が数多く残っており、現在も能が舞われる所があります。また、文弥人形、説経人形、のろま人形は、国の民俗文化財になっており、「鬼太鼓」は佐渡にしかない珍しい古典芸能で、島内各地の祭礼に舞われます。日本民謡の代表とも言える「佐渡おけさ」のほか、「春駒」「つぶろさし」などの伝統芸能が継承され、神社・仏閣などの文化財も数多く点在しており、それらの歴史と文化を再認識し、有形、無形の歴史文化遺産の保護継承が重要になっています。

また、佐渡金銀山遺跡は世界に誇れる貴重な文化遺産であり、世界遺産登録を目指して様々な取組を進めており、平成20年9月に、世界遺産暫定一覧表に記載されることが決定しました。

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