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指定種別(員数) | 古文書(2) |
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指定年月日 | 平成16年3月1日 |
所在地 | 佐渡市豊田、他 |
所有者または管理者 | 旧豊田区、他1 |
佐渡で実施された検地としては、慶長の「田地検地」、元和の「屋敷検地」、元禄の「田畑屋敷検地」が知られているが、この渋手村(真野地区豊田)石直帳は、慶長5年(1600)に越後の上杉景勝の代官河村彦左衛門が佐渡一国で実施した田地検地の帳簿にある苅高表示を石高表示に改め、名寄帳として村々に交付したものと思われる。
慶長の検地は中使の指出しによるもので、100束について8斗4升の年貢であったが、寛永4年(1627)に京枡と江戸枡の差8合ほどを加えて9斗7合2勺とした。この石直帳は、慶安2年(1649)に佐渡奉行所が苅高制を廃して石高制を実施したことにより、100苅9斗7合2勺という計算で苅高を石高に換算してある。
村方の帳簿は名寄形式となっており、単に「直石直帳」とだけ記載されている。