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佐渡市指定 有形文化財:古瀬戸灰釉瓶

記事ID:0005093 更新日:2022年1月1日更新 印刷ページ表示

佐渡市指定 有形文化財

古瀬戸灰釉瓶(こせとかいゆうへい)

古瀬戸灰釉瓶の画像

指定種別(員数) 考古資料(1)
指定年月日 平成16年3月1日
所在地 佐渡市秋津(両津郷土博物館)
所有者または管理者 佐渡市

この瓶は昭和60年(1985)に畑野地区栗野江の林道伊泰儀(いたぎ)線の工事の際に発見されたもので、高さ26.5cm、底径10.5cm、一部釉薬がはがれ落ち、変色した部分があるものの、欠損がなく、この種の瓶としては佐渡では初めての完形品である。胴部には三筋文が刻まれており、この文様から「牡丹唐草劃花(かっか)文・剣先蓮弁印花文」と名付けられている。

瓶には発見当時火葬骨が納められていたが、本来は中国酒などを入れるための「梅瓶」と思われる。梅瓶は北宋時代(11世紀〜12世紀頃)に中国で生産が始まり、南宋時代の13世紀以降に日本に輸入されていた。

この瓶は嘉元元年(1303)から同3年頃の作とされるが、当時は佐渡の守護所が波多郷(畑野地区)に置かれ、関東出身の地頭たちのが佐渡に定着しはじめた時代であることから、この瓶もその頃の僧侶あるいは武将のものではないかとの見方がある。