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指定種別 | 史跡 |
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指定年月日 | 平成16年3月1日 |
所在地 | 佐渡市真光寺 |
所有者または管理者 | 個人蔵 |
佐和田地区真光寺にあった真光寺の前身は、本坊沢の地にあった修験の成就院とされ、天正17年(1589)に越後の上杉景勝が佐渡を配下とした際に真光寺を創建し、金北山権現の別当寺にしたと伝わる。
古い記録によると、真光寺の寺領は30町9反5畝(約30.68ヘクタール)に及び、石高は54石、寺家に東之坊・下之坊・円満坊・田中坊・上之坊・南之坊・坂本坊・脇之坊があり、末寺門徒を多数有したとあり、小木地区小比叡の蓮華峰寺に次ぐ名刹であったという。
真光寺は相川金山の発見後に益々信仰を集め、慶長16年(1611)に佐渡代官大久保長安の発願による仁王門の建立、元和元年(1615)に武田家遺臣の川崎四郎左衛門元邦の孫中山元忠・方恭による山門の建立と阿弥陀堂の再建がなされるが、明治元年(1868)の神仏分離令により廃寺となり、279年間続いた山容は姿を消した。
現在、真光寺の山容を示すものはほとんど残っておらず、真光寺という字名と金北山神社里社や本坊のあった金光家、後に再興した円満坊(現円照寺)と田中坊(現真田寺)にその遺品の一部を残すのみである。