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西三川砂金山:ギャラリー

記事ID:0004496 更新日:2021年3月1日更新 印刷ページ表示

虎丸山(とらまるやま)

虎丸山山肌を削り崩して砂金を採取した跡。人類最古の金の入手方法は砂金の採取であり、佐渡でこの舞台となったのが西三川だと考えられています。

笹川の町並みと虎丸山

笹川の町並みと虎丸山砂金を採取していた人々は、生活の手段を農業に変えて、いまもこの地に住み続けています。周辺の民家には多数の砂金採取用具が伝えられています。

石組遺構群

石組遺構群自然石を積み上げたコの字状の石組みが多数存在します。作業小屋や休憩所などの跡だと考えられています。

水路や堤の跡

水路や堤の跡これらの石組みのほかに、水路や堤の跡も多く残されています。当時は砂金を含んだ土石を谷川へ滑り落とし、余分な土砂を大量の水で押し流して砂金を採取していました。

絵巻「佐州金銀山之図」

絵巻「佐州金銀山之図」砂金採取の各工程が、絵と説明文で記録されています。

阿弥陀堂

阿弥陀堂中世の砂金山の開発には尾張国(愛知県)から来た浄土宗門徒がかかわっていたといいます。この阿弥陀堂は、いまも残るその痕跡のひとつです。

大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)

大山祇神社鉱山の安全と繁栄を祈願して建立されました。

医王寺(いおうじ)

医王寺かつては周辺住民の多くが医王寺の檀家だったと伝えられ、砂金山との深い関係がしのばれます。

金子勘三郎家

金子勘三郎家江戸時代に砂金山世話役と名主を兼務した家。砂金山に関する古文書などの貴重な歴史的遺産が伝えられています。