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上寺町地区が佐渡金銀山遺跡に追加指定されました
上寺町地区が佐渡金銀山遺跡に追加指定されました
10月6日(月曜日)、相川市街地の東部に位置する上寺町地区9.7ヘクタールあまりが、国史跡佐渡金銀山遺跡に追加指定されました。
上寺町地区は、その重要性から、佐渡金銀山の世界文化遺産登録に係る構成資産として予定されており、「顕著な普遍的価値」を証明するために、今後とも調査研究と適切な保存管理を進めていきます。
上寺町地区の概要
上寺町地区は、16世紀末から17世紀初頭にかけて本格的な金銀採掘が始まった相川金銀山の成立にともなって形成された寺院・集落跡です。初期鉱山集落であった「上相川地区」の南側の斜面・台地上に位置しています。
18世紀前期には日蓮宗・浄土宗など8か寺の寺院が存在し、文政9年(1826)の「相川町町墨引(あいかわまちまちすみびき)」には、鉱山勝場床屋(せりばとこや)関係者・買石(かいし)・地役人・奉公人・職人・針仕事師などが居住していたことが記されています。
明治〜昭和初期にかけては、鉱山へ労働力を提供していた太田部屋・大塚部屋・佐藤部屋といった部屋頭の住居や、鉱山から製錬施設のある北沢地区を結ぶ鉱車軌道、諏訪町合宿所(鉱山長屋)など、鉱山関連の施設が存在していました。
昭和27年(1952)の鉱山大縮小とともに人家も減り、現在は浄土真宗寺院の万照寺が残るのみとなっていますが、斜面を造成した平坦地群や石垣、道路跡などの地割、墓石等の石造物は良好に残されており、往時の繁栄の様子を偲ぶことができます。
西光寺北側斜面のテラスと石垣
法久寺墓地