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相川:江戸時代の繁栄:ギャラリー
道遊の割戸(どうゆうのわりと)
人々が争って鉱石を掘り取った結果、山がまっ二つになりました。日本最大の露頭掘りの跡であり、相川金銀山を象徴する奇観です。
道遊の割戸(どうゆうのわりと)
割戸の麓にぽっかりと開いた大穴。
道遊の割戸(どうゆうのわりと)
裏側から見上げたところ。崩落した断面を正面から見ると、無数の狸穴(試掘用の狭い坑道)を見ることができます。
道遊の割戸(どうゆうのわりと)
道遊の割戸(どうゆうのわりと)
奥山の森のざわめきと、潮騒。
キリシタン塚(きりしたんづか)
島原・天草の乱があった1637(寛永15)年、佐渡のキリスト教信者100人あまりが処刑されここに葬られたと伝えられています。
金比羅神社(こんぴらじんじゃ)
海上安全を願い奉納された船絵馬が多数残っています。
時鐘楼(じしょうろう)
1713(正徳3)年から鐘をついて相川の町々に時を知らせました。
瑞仙寺(ずいせんじ)
山師味方但馬の菩提寺として、その子どもが1624(寛永元)年に建立しました。
石切り場跡(いしきりばあと)
金銀山で使う石磨(うす)などの石材を切り出した海岸です。
大安寺(大久保長安逆修塔)(だいあんじ おおくぼちょうあんぎゃくしゅうとう)
徳川政権初期に活躍し、佐渡を支配して金銀山隆盛を招いた大久保長安が生前に死後の冥福を願い1611(慶長16)年に建立しました。
大安寺(河村彦左衛門供養塔)(だいあんじ かわむらひこざえもんくようとう)
上杉景勝の代官から引き続き徳川家康の代官として佐渡を治めた河村彦左衛門の供養塔。
大山祗神社(下山之神町)(おおやまづみじんじゃ)
金銀山の総鎮守として1605(慶長10)年、大久保長安が建立しました。
大山祗神社(下山之神町)(おおやまずみじんじゃ)
金銀山の総鎮守として1605(慶長10)年、大久保長安が建立しました。
大乗寺(だいじょうじ)
良寛の母のぶの実家で相川橘屋の菩提寺。一族の墓や寄進した観音像が残されています。
大乗寺(だいじょうじ)
「弘法さん」と呼ばれる大師堂のまわりには四国八十八ヶ所の仏像がつらなります。
大日堂(海士町)(だいにちどう)
相川の町に下りる旧道沿いにあり、荷を運んだ牛の守り神として信仰されました。
鎮目市左衛門墓(しずめいちざえもんはか)
佐渡奉行として1618(元和4)年から1627(寛永4)年まで佐渡を治め、金銀山を無類の繁栄に導いたと称えられました。
百足山神社(むかでやまじんじゃ)
3メートルもあるムカデが住むという。ムカデは鉱脈の象徴といわれ、かつては霊山寺という寺が建っていました。
法輪寺(ほうりんじ)
山師味方但馬の舎弟という味方与次右衛門一族の墓が並んでいます。