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鶴子銀山:ギャラリー
大滝露頭群(おおたきろとうぐん)
沖の船から山が輝いて見えたという発見伝説がある鶴子銀山。地表から銀を採掘した露頭掘りの跡が無数に残っています。
大露頭(だいろとう)
直径16メートル、深さ5メートルにもなる露頭掘り跡も残っています。
大滝間歩(おおたきまぶ)
滝つぼの部分に間歩(坑道)の口が開いています。
大滝間歩(おおたきまぶ)
滝つぼから地中へと続く坑道。「横合」と呼ばれる坑道掘りの技術が石見銀山(島根県)から伝えられました。
大滝間歩(おおたきまぶ)
内部から外を見たところ。
沢根の街並み(さわねのまちなみ)
鶴子には全国から一攫千金を夢見る人々が集まり、眼下の海沿いの沢根には港が整備され、商人が集まって街が成立しました。
沢根の街並み(さわねのまちなみ)
沢根を抜ける街道は、相川金銀山へと続く重要なルートになりました。
床屋跡(とこやあと)
鶴子集落のはずれにある沢根銀山床屋跡。当時の鉱山における「床屋」とは、鉱石を製錬する職種(場所)を指します。
山師秋田権右衛門家の墓(やましあきたごんうえもんけのはか)
山師とは鉱山経営者のことで、技術者や労働者を率いて鉱山の発見と開発を仕事にしていました。
山師秋田権右衛門家の墓(やましあきたごんうえもんけのはか)
秋田の佐竹氏に仕えていたという秋田権右衛門は鶴子銀山を稼いで、莫大な財産を手にしました。
西野金北山神社(にしのきんぽくさんじんじゃ)
佐渡最高峰の山「金北山」を祀る神社は島内各所にまつられていますが、この西野金北山神社は、山師秋田権右衛門が社殿を再建し、祭礼行事も権右衛門が奉納したとも伝えられています。