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台湾の高雄市と友好交流協定を締結しました
台湾の高雄市と友好交流協定について
佐渡市と高雄市との関係
これまで、台北駐日経済文化代表処をはじめとする台湾政府からの多大なるご支援をいただき、友好を深めてきました。
令和4年3月
台北駐日経済文化代表処李副代表(当時)が来島された際、真野公園に設置されていた山本悌二郎像氏胸像の里帰りおよび両市の未来に向けた友好交流について記載された高雄市長からの親書を受け取る
令和4年7月
佐渡市と高雄市文化局の間で友好交流覚書を締結
令和4年8月
真野公園に設置されていた山本悌二郎氏胸像が高雄市に里帰りを果たす
令和4年12月
高雄市に里帰りをした山本悌二郎像の除幕式に、高雄市側からの招待を受け、渡辺市長が参加
令和5年7月22日
台湾で修復作業が行われていた山本悌二郎氏石膏像が佐渡に帰還。新たに作成された胸像が当市に寄贈され、除幕式を開催。台湾との交流イベントが実施され、佐渡市において、友好交流協定を締結
交流協定の内容(協定書一部抜粋)
佐渡市と高雄市は、日台友好関係と歴史の縁に基づき、山本悌二郎氏の銅像が台湾に帰還することをきっかけに、両市の友好関係を強固にし、更なる連携の発展を促進するため、友好交流協定を締結することに合意する。
- 両市及びその市民は、経済貿易、観光、民間交流、文化芸術、教育、スポーツ、農業など幅広い分野における多様な交流と連携を通じて、相互のさらなる繁栄と発展を推し進めることとする。
- 双方は、友好関係を末永く維持していくために、友好交流に関連する事業の協力に努める。
提供:株式会社Rainbow
高雄市の紹介
台湾第三の都市で、西は台湾海峡、南はバシー海峡に面しています。地理的条件や海流の関係から年中さんさんと陽光が射し、南国ムードがいっぱいです。優美な澄清湖、夕日の名所・西子湾など観光スポットは多彩です。
山本悌二郎氏について
明治3(1870)年2 月10 日~昭和12(1937)12 月14 日
父は医師。有田八郎の実兄。独逸協会学校を経てドイツ留学、ライプチヒ大学等に学び明治27(1894)年帰国。明治30(1897)年日本勧業銀行に入行、33 年台湾製糖を創立し、支配人、会長を経て大正14(1925)年~昭和2(1927)年まで社長を務めた。一方、明治37(1904)年3 月衆議院議員初当選(以降、当選11 回)、立憲政友会の重鎮と
して活躍。昭和2(1927)年4月~ 4 年7 月に田中義一内閣の、6 年12 月~ 7 年5 月には犬養内閣の農林相を歴任した。
(出典:国立国会図書館)
父は医師。有田八郎の実兄。独逸協会学校を経てドイツ留学、ライプチヒ大学等に学び明治27(1894)年帰国。明治30(1897)年日本勧業銀行に入行、33 年台湾製糖を創立し、支配人、会長を経て大正14(1925)年~昭和2(1927)年まで社長を務めた。一方、明治37(1904)年3 月衆議院議員初当選(以降、当選11 回)、立憲政友会の重鎮と
して活躍。昭和2(1927)年4月~ 4 年7 月に田中義一内閣の、6 年12 月~ 7 年5 月には犬養内閣の農林相を歴任した。
(出典:国立国会図書館)