ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

佐渡市の紹介

記事ID:0050220 更新日:2021年3月1日更新 印刷ページ表示

太古の佐渡

佐渡の成り立ち

約2000万年前、火山活動の影響で地下に金鉱床ができ、その後大陸のふちが割れ、日本海が誕生しますが、佐渡はこの時海底に沈みました。その後、約300万年前に日本海の海底の一部が持ち上がり海上に現れ佐渡となりました。この頃は、大佐渡と小佐渡の2つの島に分かれていました。

佐渡に人が暮らし始めたのは約8000年前頃と考えられています。約2000年前に山から流れ出す土砂が島の間の海を埋め立て、現在の形となりました。

724年に佐渡は「遠流(おんる)」の地として定められました。これは1434年まで700年近く続き、この間に順徳上皇や日蓮上人、世阿弥などが都から流されてくることとなります。8世紀には国分寺が置かれるなど、一つの国として認められていました。

金銀の島・佐渡

佐渡では古くから金や銀の採取が行われ、江戸時代には徳川幕府から重要視され直轄地とされていました。金銀山開発のために日本各地から様々な人が訪れ、17世紀前半には相川の町に約5万人もの人が住んでいたといわれています。金銀山の開発は1989年の相川金銀山の休山まで、形態を変えながら続きました。

文化の島・佐渡

佐渡は金銀山開発に伴い各地から多くの人が集まり、様々な影響を受けました。特に能の普及には佐渡代官大久保長安が大きく影響を与えたと言われています。また、無名異焼や鋳金など金銀山開発に関わる文化も広がり、今では佐渡を代表する美術工芸となっています。

産業

現在の農業はコメ作り中心で、約3万トンの生産量を誇っています。柿や果樹栽培や干ししいたけ作りも盛んです。漁業ではイカやブリが知られています。また、日本酒の蔵元も多く地酒ファンに喜ばれています。

観光資源としては、トキ・金銀山・佐渡おけさ・鬼太鼓・能などがあります。このほか、釣りやダイビングなどを目的に訪れる方も増えています。また、花の島でもあり、珍しい花々や迫力の天然杉を目当てにしたトレッキングに毎年来訪される方も大勢いらっしゃいます。

地勢・気象

それぞれ詳細ページをご覧ください。

地勢

気象