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指定種別(員数) | 建造物(3基4棟1所) |
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指定年月日 | 平成24年12月28日 |
所在地 | 佐渡市下相川、相川宗徳町 |
所有者または管理者 | (株)ゴールデン佐渡 |
慶長6年(1601)相川金銀山の発見を端緒とし、徳川幕府の直轄鉱山として江戸時代を通じて繁栄した佐渡金銀山は、明治2年(1869)に官営佐渡鉱山となった後、三菱合資会社へ払い下げられ、平成元年(1989)まで操業した。
旧佐渡鉱山採鉱施設は、昭和13年(1938)の重要鉱物増産法施行により整備された民間経営時代の施設を中心とするもので、大立竪坑を軸として各坑道から集められた鉱石は、鉱車に積まれて道遊坑及び高任坑を経由して高任粗砕場に運ばれ、破砕・選別された後、貯鉱舎に貯蔵された。
これら採鉱にかかわる施設は現在も一体的に残されており、昭和戦前期における鉱山の採鉱システムを今に伝えるものである。
指定種別 | 建造物 |
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指定年月日 | 平成24年12月28日 |
所在地 | 佐渡市下相川 |
所有者または管理者 | (株)ゴールデン佐渡 |
明治10年(1877)に完成した大立竪坑に関係する施設で、濁川右岸の斜面中腹に立地する鉄骨造の櫓である。竪坑内にケージを昇降させるための施設で、昭和13年(1938)の大立竪坑捲揚拡大計画に伴って同15年(1940)に建設され、平成元年(1989)まで稼動した。
この竪坑櫓の構造は、ケージの昇降に用いる上層部の櫓と、坑内から運搬してきた鉱石の貯蔵に用いる下層部の貯鉱庫に分かれている。このうち、上層部の櫓は、鉄骨トラス構造で高さ約13.9メートル、ケージ用の滑車2基を備え、竪坑内につながるガイドレールが敷設されている。現在坑口は塞がれているが、かつては竪坑の地下にケージを吊り下げ、作業員や採鉱・坑内保全用の資材、鉱車等の運搬が行われていた。
また、下層部の貯鉱舎は、岩盤沿いに鋼管製の柱と形鋼で軸組を構成したもので、貯鉱庫上部に設けられた鉱車軌道先端にはチップラー(鉱車回転装置)が設置され、鉱車に積まれた鉱石を貯鉱庫内に落下させる仕組となっている。
指定種別 | 建造物 |
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指定年月日 | 平成24年12月28日 |
所在地 | 佐渡市下相川 |
所有者または管理者 | (株)ゴールデン佐渡 |
大立竪坑の地表にあった捲揚機を移設するため、昭和15年(1940)に岩盤を掘削して建造された坑内の捲揚機室で、平成元年(1989)まで稼動した。出入口は竪坑櫓の北西山面の坑口に設けられた間口約2.4メートル、高さ約2.7メートルの切石積アーチ構造で、室内は全体で南北約28.3メートル、東西約23.3メートル、北側に鉄筋コンクリート製のアーチ構造物を設けている。このアーチ構造物は、南北10.5メートル、東西約14メートルの規模で、内部は中央の壁面によって東西2室に分かれ、西側に捲揚機、東側に鏨岩機(さくがんき)等の動力源である空気圧縮機(コンプレッサー)等が現存する。また、後設のコンプレッサー室や配電室も備えており、配電室には電機関係の機械類が現存している。(
道遊坑坑口
指定種別 | 建造物 |
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指定年月日 | 平成24年12月28日 |
所在地 | 佐渡市相川宗徳町 |
所有者または管理者 | (株)ゴールデン佐渡 |
高任地区に坑口を開いた坑道で、平成元年(1989)の休山まで鉱石運搬の中心的施設であった。
道遊坑は、明治32年(1889)に開坑し、坑口付近を石造、その先をコンクリート巻とした半円アーチ形の断面仕上げで、坑口は切石積の二重アーチである。大立地区と高任地区を結ぶ佐渡鉱山最大の運搬坑道で、通洞坑と称された。高任坑は、昭和15年(1940)頃に開坑し、東西の坑口間をコンクリート巻とした半円アーチ形の断面仕上げで、坑口もコンクリート巻、外周は自然石の擁壁である。いずれも坑内には鉱車用の軌道が敷設されており、高任坑より運び出され、高任粗砕場で荷卸を行った鉱車は、電車車庫(機械工場)を経て、道遊坑より再び坑内に至ったとされる。
指定種別 | 建造物 |
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指定年月日 | 平成24年12月28日 |
所在地 | 佐渡市相川宗徳町 |
所有者または管理者 | (株)ゴールデン佐渡 |
佐渡鉱山より採掘した原鉱を選鉱・破砕するための施設で、昭和12年(1937)に建設され、平成元年(1989)まで稼動した。高低差約20メートルの斜面に築かれたコンクリート基礎上に建つ鉄骨造六階建の建物で、三階と四階・五階はそれぞれ切妻造波形スレート葺、一階と二階・六階はそれぞれ片流れ波形スレート葺である。施設は高低差を利用した仕組みとなっており、上層から原鉱を落としながら選鉱し、下層で破砕した後、地階に備えたベルトコンベアにより貯鉱舎へ運ばれていた。現在も最上階には鉱石を運び入れる鉱車軌道とチップラー(鉱車回転装置)、三階には中型のジョークラッシャー(破砕装置)、一階には大小のジョークラッシャーが残されている。
指定種別 | 建造物 |
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指定年月日 | 平成24年12月28日 |
所在地 | 佐渡市相川宗徳町 |
所有者または管理者 | (株)ゴールデン佐渡 |
昭和13年(1938)に高任粗砕場南側の一段低い場所に建設された鉱石の貯蔵施設で、平成元年(1989)まで稼動した。
貯鉱舎は、鉄筋コンクリート造の鉱倉部分と、鉄骨造に切妻造波形スレート葺の上屋部分で構成され、2,500tの鉱石を貯蔵できた。貯鉱舎北面に接続するベルトコンベアヤードは、延長31.3メートル、鉄骨造に切妻造波形スレート葺の橋廊状で、ベルトコンベア1基を備える。このベルトコンベアは地下を通って高任粗砕場の地階に接続しており、粗砕場で一次破砕された鉱石はベルトコンベアで貯鉱舎へ運ばれ、保管された後、諏訪隧道・神明トンネルを通って北沢地区へ運搬されていた。
指定種別 | 建造物 |
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指定年月日 | 平成24年12月28日 |
所在地 | 佐渡市相川宗徳町 |
所有者または管理者 | (株)ゴールデン佐渡 |
昭和14年(1939)頃に建設された車両施設で、道遊坑、高任粗砕場等をつなぐ一連の鉱車軌道に接している。
木造平屋建、切妻造平入桟瓦葺の建物で、増築により規模の異なる3棟の建物の妻面が接続され、全体の規模は梁間9.3メートル、桁行34.2メートルである。屋内に引き込んだ軌道上に5基の転車台を備え、当初は蓄電池式機関車の修理・整備が行われたが、後に坑内で使用する道具類の作成・修理等も行われるようになり、平成元年(1989)まで使用された。現在、屋内には旋盤等の機械類や蓄電池式機関車などが保存され、一般公開されている。
指定種別 | 建造物 |
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指定年月日 | 平成24年12月28日 |
所在地 | 佐渡市相川宗徳町 |
所有者または管理者 | (株)ゴールデン佐渡 |
間ノ山地区を流れる濁川に架かる2基の石橋のうち、当橋は上流側に位置し、粗砕場及び貯鉱舎構内への出入りに利用された。
橋長約8メートル(上流側6.6メートル、下流側9.5メートル)、幅員約6.5メートルの単アーチ橋で、アーチ部の輪石は上辺約1尺、下辺約9寸、高さ約1尺の切石で、表面は深い目地のあるルスティカ積み風に仕上げてある。
また、アーチ最頂部に差し入れる要石は、輪石の倍程の高さで、表面は凹凸のあるビシャン仕上げとなっており、壁石は5寸〜1尺5寸程度の雑割石が乱積してある。
スパンドレル(側壁)には土砂に石灰を混ぜて叩き固める「人造石工法」が採用されている可能性があるが、キーストーンの形状から建設年代は明治時代末期以降と推定されている。
指定種別 | 建造物 |
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指定年月日 | 平成24年12月28日 |
所在地 | 佐渡市相川宗徳町 |
所有者または管理者 | (株)ゴールデン佐渡 |
間ノ山地区を流れる濁川に架かる2基の石橋のうち、当橋は下流側に位置する。
明治37年(1904)に建設され、当初は高任粗砕場の前進となる施設構内への出入りに利用されたが、その後の施設の更新や地形改変により利用されなくなった。
橋長10.3メートル、幅員3.4メートルの単アーチ橋で、アーチ内壁には建設年の明治37年(1904)11月の銘板が残されている。橋のスパンドレル(側壁)には土砂に石灰を混ぜて叩き固める「人造石工法」が採用され、アーチ部の輪石は上辺約1尺、下辺約8寸、高さ約1尺2寸の切石で、表面は深い目地のあるルスティカ積み風に仕上げてある。
また、アーチ最頂部に差し入れる要石も輪石とほぼ同じ形状で、壁石は5寸〜2尺程度の雑割石が乱積してある。