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指定種別(員数) | 絵画(6枚) |
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指定年月日 | 平成16年3月1日 |
所在地 | 佐渡市徳和 |
所有者または管理者 | 東光寺 |
縦87cm×横32cmの大きさの1枚板が6枚あり、各板に金剛宝・放光玉・金剛願・金剛撞・金剛悲・預天賀の六地蔵が1体ずつ墨で描かれている。作者は江戸時代の流人で絵師の狩野胖幽(はんゆう)である。
狩野胖幽は狩野派中興の祖狩野探幽の弟子であったが、延宝2年(1674)25歳のときに探幽に勘当されて佐渡に流された。その後赦されて一度江戸に帰るが、再び佐渡に戻り、享保15年(1730)81歳で没している。胖幽は在島した56年間に多くの絵を残しており、その画風は狩野派の伝統を忠実に伝えるものと評されている。
この板書の裏書には「享保三戊戍年(1718)正月如意日 現住英洲代」とあり、胖幽が晩年に描いた作品であることがわかる。なお、文末の「英洲」とは東光寺の十二世住職宅穏英洲大和尚のことである。同寺は永徳2年(1382)に佐渡を訪れた法王禅師源翁玄妙(げんのうげんみょう)大和尚に帰依した三川徳和の城主本間山城守の建立と伝わる。