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指定種別(員数) | 彫刻(1躯) |
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指定年月日 | 昭和59年3月27日 |
所在地 | 佐渡市鹿伏 |
所有者または管理者 | 観音寺 |
この仏像は元々、天和元年(1681)に佐渡へ流された大納言小倉実起(さねおき)の持仏とされるもので、滞在先であった相川鹿伏の観音寺には小倉家の遺品とされる冠の紐や扇子、歌軸などが今に伝えられている。
この仏像は像高17.5cm、蝋型原型から台座を含む全てを一鋳し、全体をタガネで仕上げてある。鍍金が施されていたはずであるが、後世に火を受けたためかその痕を留めていない。また、単髻を結び、三面頭飾(宝冠)や化仏をつける頭部は大きく感じられるものの、全体としては顔の小さい長身のすんなりとした容姿である。
身にまとう薄い衣の流麗で変化に富む表現が奈良時代前期の特色をよく示し、下半身の両側に鰭(ひれ)状に拡がって垂れ下がる天衣の形式は飛鳥時代の古式を伝えるなど、その特徴は我が国の上代金銅仏の中では異色であり、歴史的な美術品として貴重である。