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持国天
増長天
広目天
多聞天
指定種別(員数) | 彫刻(4躯) |
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指定年月日 | 平成29年3月21日 |
所在地 | 佐渡市長谷 |
所有者または管理者 | 長谷寺 |
この四天王立像は、10世紀末頃の平安中期にさかのぼるものである。カヤとみられる針葉樹材の一木造で、像高74.2〜79.8cmである。4体とも兜を戴く四天王像としては全国でも東日本に数例しかない。玉眼がはめこまれ、表面には白土の下地に彩色が施されているが、いずれも後の補修と思われる。
カヤの一木造という古様な構造で、妖精的な体勢やユーモラスな表情は平安前期の作例の名残を見せている。一方、兜や甲冑を着けながらも、武将的な逞しさをあらわさず、童児風の軽やかな体躯や、身振りが穏やかにまとめられている点に、次の藤原時代の兆しが認められる。
現在は長谷寺の本堂に隣接する宝物室に安置されているが、本来は秘仏の本尊十一面観音像(国重文)の眷属として、元禄4年(1691)に再建された現在の観音堂に安置されていたことが、「佐州雑太郡初瀬邑豊山長谷寺由来記」(長谷寺蔵)により伝えられている。