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国指定 重要文化財:銅鐘(永仁三年九月日施入ノ銘アリ)

記事ID:0005029 更新日:2021年3月1日更新 印刷ページ表示

国指定 重要文化財

銅鐘(永仁三年九月日施入ノ銘アリ)(どうしょう(えいにんさんねんくがつにちせにゅうのめいあり)

銅鐘(永仁三年九月日施入ノ銘アリ)の画像

指定種別(員数) 工芸品(1口)
指定年月日 昭和25年8月29日
所在地 佐渡市新穂井内
所有者または管理者 神宮寺

高さ83cm、重さ187.5kgの和鐘で、元々は両津地区羽吉の羽黒山正光寺が所有していたが、明治元年(1868)に同寺が廃寺となった際に菩提寺である神宮寺に寄進されたものと伝わる。

さらに銅鐘の下部に彫られた銘文によると、永仁3年(1295)9月に沙弥能主(加茂郷地頭渋谷氏とする説あり)という人物が、当時の佐渡守護職陸奥守朝臣の御祈祷と結縁助成及び天下法界平等利益のために、銅匠藤原守重にこの鐘を鋳造させ、正光寺に奉納した、とある。

当時の世相を見ると、幕府を緊張させた様々な事件を経て北条執権体制が完成し、鎌倉を騒がせた日蓮聖人や一遍上人が亡くなるなど、鎌倉や佐渡に起きた内憂外患がようやく沈静化に向かっていたと思われるが、一方では、永仁3年(1469)に天皇の譲位問題に関わった冷泉為景の佐渡追放が取沙汰されるなど、世間は依然として不穏な様相を呈していたと考えられる。こうした社会情勢を背景に、佐渡守護の息災と平安を願って鋳造され、奉納されたものと思われる。