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指定種別(員数) | 古文書(2点) |
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指定年月日 | 平成16年3月1日 |
所在地 | 佐渡市相川坂下町 |
所有者または管理者 | 佐渡市教育委員会、相川郷土博物館管理 |
この古文書は、赤穂四十七士の一人として知られる赤埴(あかばね)源蔵の母日詠と弟本間安兵衛が、母の実家である相川の高野家へ宛てた手紙である。
元禄15年(1702)12月14日、播磨国(兵庫県)赤穂藩の四十七士が旗本の吉良邸に討ち入りし、自害した藩主の浅野内匠頭長矩の仇として吉良上野介義央を討ち果たす「元禄赤穂事件」が起こった。事件の翌年、源蔵は幕命により切腹させられ、その後母親は仏門に入り「日詠」と名乗ったという。
この手紙は、討入り後の日詠と安兵衛の幸せな暮らしぶりなどを甥の高野忠左衛門に報告する文面となっており、事件後の社会状況を研究する上で重要である。