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指定種別 | 史跡 |
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指定年月日 | 昭和27年12月10日 |
所在地 | 佐渡市下新穂〜新穂舟下 |
所有者または管理者 | 新穂地区 |
下新穂と新穂舟下にわたる海抜約10メートルの水田地帯にある。「玉作遺跡」とは弥生時代中期後半に細形の管玉を製作していた集落遺跡のことで、指定の遺跡は国中平野に十数ヵ所点在する「佐渡玉作遺跡」の内、新穂地区の「小谷地遺跡(竹の花遺跡)」・「桂林遺跡」・「平田遺跡」・「城畠遺跡」の4遺跡の総称である。
出土品は土器・石器・木製品などで、このうち土器は近畿地方と密接な関係をもつ櫛描文土器が主体である。玉はヒスイや碧玉(青玉石)・鉄石英(赤玉石)などの美しくて硬い石で作られた勾玉・管玉・角玉・三角玉などで、装身具に使用されたと推測される。
新穂玉作遺跡は昭和13年(1938)に発見されて以来、製玉技法が研究され、その後、佐渡国中平野一帯を始めとして越前・越後の各地でも弥生時代の玉作遺跡の存在が明らかになった。指定の遺跡は玉作遺跡研究の端緒として、玉作遺跡の多い佐渡の代表的な遺跡である。