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指定種別 | 史跡 |
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指定年月日 | 昭和48年3月29日 |
所在地 | 佐渡市二見 |
所有者または管理者 | 佐渡市 |
相川地区二見の二見半島にある小さな岬の稜線に構築された古墳である。古墳は岬の稜線の背を断ち割って石室を設け、周囲を削ってその土を盛って作られた低い墳丘で、海上から望むと峻立しているその様子がよくわかる。6世紀中頃の築造と推定されている。
古墳の石室は羨道(せんどう)と玄室より構成され、羨道は長さ約3メートル、幅80cm、高さ1.5メートル、玄室は長さ3.6メートル、幅2メートル、高さ2メートルの両袖式石室である。石組の石材は海岸の転石を一部加工して使用し、玄室の床には玉石が敷きつめられている。また、石室の四隅は三角状の石を置いて天井まで持ち送っていく「隅三角状持ち送り式」天井の石室構築法が用いられている。この手法は新潟県内では他に例を見ない貴重なもので、高句麗式とも呼ばれている。(保存のため平成18年度に埋戻)
この古墳にはかつて須恵器・直刀・人骨などが埋まっていたとされるが、明治時代にはすでに盗掘されており、天井石のすべてと奥壁の一部も取り去られてしまっていた。なお、佐渡で発見された古墳のほとんどは真野湾沿いであるが、相川地区の二見半島ではこの遺跡を含み9基の古墳が確認されている。