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指定種別 | 民俗芸能 |
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指定年月日 | 昭和52年5月17日 |
所在地 | 佐渡市 |
所有者または管理者 | 佐渡人形芝居保存会 |
文弥人形・説経人形・のろま人形からなる佐渡の人形芝居は、いずれも1人で1体の人形を操る一人使いで、古浄瑠璃形式を基に独自の改良が加えられている。
文弥人形は、明治3年(1870)に小木の説経人形使いの大崎屋松之助と沢根の文弥語りの伊藤常盤一によって創始され、京都の文弥節を下地とし、人形は、新穂の須田五郎左衛門が京都から持ち帰った説経語りの人形を改良したものが使用された。
一方、説経人形は、金平人形または説教人形とも呼ばれ、語りには僧侶の説教に端を発した説経節が用いられている。寛永期(1624〜1644)頃に成立した後すたれ、佐渡などの地方に残っていたもので、佐渡の人形芝居の中では最も古い芝居である。
また、のろま人形は、説経人形の成立後、江戸時代に説経人形や文弥人形の合間に演じられるようになった間狂言で、太夫の語りがなく、佐渡では生の佐渡弁でおもしろおかしく演じられる。
佐渡の人形芝居は、大衆娯楽として島民に広く親しまれ、最盛期には40座の人形座が存在していたが、後継者不足のために大正末期頃より衰退し、終戦頃には消滅の危機にあった。しかし、その後、島ぐるみで人形芝居を保存しようとの動きが起こり、昭和52年(1977)に佐渡人形芝居保存会が設立され、同年5月には国の重要無形民俗文化財に指定された。現在島内の人形座は10数座を数え、芝居は各地の祭りや芸能行事などで盛んに上演されている。